





風博士
坂口安吾
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諸君は、東京市某町某番地なる風博士の邸宅を御存じであろう
風博士の遺書
諸君、彼は禿頭である。然り、彼は禿頭である。禿頭以外の何物でも、断じてこれある
諸君、余を指して
諸君、彼は余の憎むべき論敵である。単なる論敵であるか? 否否否。千辺否。余の生活の全てに於て彼は又余の憎むべき仇敵である。実に憎むべきであるか? 然り実に憎むべきである! 諸君、彼の教養たるや浅薄至極でありますぞ。かりに諸君、聡明なること世界地図の如き諸君よ、諸君は学識深遠なる蛸の存在を認容することが出来るであろうか? 否否否、万辺否。余はここに
諸君は南欧の小部落バスクを認識せらるるであろうか? もしも諸君が
さて諸君、彼の悪徳を列挙するは余の甚だ不本意とするところである。なんとなれば、その犯行は奇想天外にして識者の常識を
賢明にして正大なること太平洋の如き諸君よ。諸君はこの悲痛なる
ここに於てか諸君、余は奮然
しかるに諸君、ああ諸君、おお諸君、余は敗北したのである。悪略神の如しとは
諸君は偉大なる同博士の遺書を読んで、どんなに深い感動を催されたであろうか? そしてどんなに
偉大なる博士は甚だ
さて、事件の起った日は、丁度偉大なる博士の結婚式に相当していた。花嫁は当年十七歳の大変美しい少女であった。偉大なる博士が彼の女に目をつけたのは
「先生約束の時間がすぎました」
僕はなるべく偉大なる博士を脅かさないように、特に静粛なポオズをとって口上を述べたのであるが、結果に於てそれは偉大なる博士を脅かすに充分であった。なぜなら偉大なる博士は色は褪せていたけれど燕尾服を身にまとい、そのうえ膝頭にはシルクハットを載せて、大変立派なチューリップを胸のボタンにはさんでいたからである。つまり偉大なる博士は深く結婚式を期待し、同時に深く結婚式を失念したに相違ない色々の条件を明示していた。
「POPOPO!」
偉大なる博士はシルクハットを被り直したのである。そして数秒の間疑わしげに僕の顔を
「TATATATATAH!」
諸君、開いた形跡のない戸口から、人間は絶対に出入しがたいものである。
諸君、偉大なる博士は風となったのである。果して風となったか? 然り、風となったのである。何となればその姿が消え失せたではないか。姿見えざるは之即ち風である乎? 然り、之即ち風である。何となれば姿が見えないではない乎。これ風以外の何物でもあり得ない。風である。然り風である風である風である。諸氏は尚、この明白なる事実を疑るのであろうか。それは大変残念である。それでは僕は、さらに動かすべからざる科学的根拠を附け加えよう。この日、かの憎むべき蛸博士は、